チェンポン先生は私がカンボジア国立芸術大学で学んでいた時に民族舞踊の学部長でした。ポルポトの後は文部大臣をしていましたが、今は引退なさって瞑想センターにいらっしゃいます。
カンボジア人はだれでもチェンポン先生が好きです。
ポルポトの革命が起こったときにはチェンポン先生はシアムレアプにいました。プノンペンまで歩いて帰ったのですが、途中で農民たちが先生を守ってくれました。(知識人とわかると殺されますから)
チェンポン先生は私たちを台湾に留学させてくださいました。もし私があのときカンボジアにいたら、兄や恋人やたくさんの親戚のように殺されていたかもしれません。今私の命があるのは先生のおかげです.
チェンポン先生は柿が大好きです(カンボジアには柿は売っていません。柿はカンボジア人にとって高級な果物です)私は先生に会うときに両手にいっぱい柿を持っていってあげました。先生のおみやげのためです。けれど先生は我慢できなくてホテルの部屋で自分で柿をむいて食べてしまいました。
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94年に先生が日本にいらっしゃいました。
カンボジア市民フォーラムとボランティアの人たちに呼ばれて、東京と大阪、それに広島で講演したのです。わたしはそのとき東京を案内しました。
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